僕、にしいけんは、
学校が大の苦手でした。
毎日、学校に行くのが苦痛で苦痛で
仕方がなかったのを覚えています。
両親がきちんと行かせてくれていたので
不登校になったりはしませんでしたが、
行きたくないと泣きじゃくったり、
仮病で休んでしまったことも
何度かあります。
家にいると楽しくて、
家の近所には友達もいっぱいいるのに、
学校に行くと、友達もおらず
いつもひとりぼっち・・・
…
勉強ができなかったわけではありません。
というか、むしろできました。
幼稚園の頃の知能テストでも成績が良かったし、
学校のクラスでは大抵1, 2を争う成績。
先生にも褒められるし、周りの子たちも
「にしいけん君、すごいな〜」
と言ってくれます。
先生たちに言われることも、大体決まっていて
「おとなしくて、かしこくて良い子だね。
でも、友達と元気に遊んだり、積極的になったら
さらにもっと嬉しいな〜」
とは、本当によく言われました。
そう、僕は勉強はできても、
おとなしくて、人間関係が苦手な子でした。
一緒に遊びたくても、勇気がなくて、
自分から友達に話しかけていけません。
本当は、大声を出して走り回ったり、
みんなと一緒に遊んだりするのが大好きで、
家の周りではそうやっているのに、学校に行くと
途端にそれができなくなってしまいます。
いつも窓の外から運動場を眺めたり、
机の上に突っ伏して、寝たふりをして過ごしたり
そんな風に過ごしてたんですよね。
中学生時代は、苦行の時間でした
中学生になると、僕の人間関係への苦手意識は
いよいよエスカレートしていきます。
学校ではやっぱり浮いていて、
休み時間もいつも一人で席に座ってました。
人に顔を見られるのも嫌になり、
考えごとをしたり、人と関わらなくてすむよう、
机に突っ伏していることが多くなりました。
ある時には、授業が始まり、
先生が教室に入ってきたのも気づかず、
「バーン」
と教師に机を叩かれた音で、我に返る
・・・なんてこともありました。
中学時代も勉強はできたのですが、
逆にそれが、大人たちの神経を逆撫でし、
「勉強できると思って、周りのことを
見下してるんじゃないか!」
「勉強ばっかりしてるんじゃないか?
そんなことより、友達をつくれ!」
とことあるごとに、心無い教師や
周りの大人たちから攻撃されるようになりました。
そんな風に言われても、
周りと人間関係が築けず悩んでるのは、
他でもない僕自身ですからね。
我慢する以外にはどうすることもできず・・・
本当にみじめで、悔しかったですね。
僕にとって中学校にいる時間は、
本当に苦痛、我慢だけの時間でした。
「とにかく学校が早く終わらないか」
「早くここから逃げ出せないか」
と毎日切実に思いながら、過ごしてました。
家に帰れば、
好きなTVゲームをしたり、
お笑いの番組を見たり、
サッカーボールを蹴ったり、
勉強をしたり、
と、少なくとも自分の好きにできるけど、
学校にいる間は何もできない自分のことも
悔しくて情けなくて、ただただ
時間が過ぎるのを願い、耐えてましたね。
僕は、自分自身への劣等感を
どんどん膨らませていきました。
進学校での空虚な3年間
高校は地域で一番の進学校に進みました。
周りにも勉強ばっかりしてる人が多かったので、
自分だけ浮いてるわけじゃない安心感もあり、
少しは気持ちも楽になったかもしれません。
とはいえ、特に楽しいこともなく、
勉強ばかりしていた気がするんですけどね。
進学校ならではと思うんですが、
「文化祭とか体育祭とか、
そんなもん意味ないから適当にやっとけ」
と真顔で言う先生もいたり。
変な環境でしたね〜
まあ、何にせよそんなちょっと独特の環境で
僕は大学に入るための勉強だけで、
高校生活の3年間を過ごします。
そう、僕には、
中学も含めて、貴重なはずの学生時代に
あまりいい思い出がないんですよね。。。
そのことは、とても残念だったなと思います。
…
そして僕は、大阪大学に進学します。
といっても、特に何かやりたいことがあって
大学を選んだわけではありません。
自宅から通えて、偏差値が高いところ、
そんな理由だけで選んだんですよね。
近所の人や、会ったこともない親戚から
賢い、賢い、と言われました。
(阪大って関西以外の人には
馴染みがないかもしれませんが、
噂でそんな風に言われてしまうような学校です)
こそばゆいような、むなしいような感じでしたね〜
でも、友達がつくれず、
ずっと親には心配をかけていたので、
良い学校に進み、良い企業に就職して、
喜んでもらいたい気持ちはあったので、
それは良かったんですけどね。
こうして、苦しかった中高生活を終えて
大学生活に入りました。
でも、ようやく僕の人生が動き始めたんですよね
大阪大学に進学。勉強よりもサークルに夢中
大学に進んで、ようやく自分の人生の時間が
少しずつ動き始めました。
きっかけになったのは、、、
大学の授業が、ほんっっっっっとうに
下らなかったことです(笑)
まあ、目的もなく来てしまった
僕のほうが悪いんですけどね。
何はともあれ、大学の授業を
まじめに頑張るという選択肢は、
きれいさっぱり無くなりました。
この頃から僕には、
自分が納得できないことや
つまらないと思うことには、
絶対縛られたくない
という不思議な面が出てきていました。
(なんせ6年間も、ひたすらに
我慢だけの生活をしてきましたから・・・)
そして、その代わりに、
夢中になれるものを見付けました。
奇術(マジック)です(笑)
何の因果か、奇術のサークルに入りました。
軽そうに見えるんですが、
本気のサークルです。
毎年舞台を開催するので、めちゃくちゃ
本気でやらないと付いていけません。
でも、仲間と一緒に、
一つの大きな目標に向かって
必死で努力していくのが、
僕には本当に楽しかったんですよね。
夢中でした。
※ちなみにこの人は先輩です。知ってます?
ムッシュ・ピエール
サークルをしに学校に通っていたので、
学部では浮きまくっていて
1人も友達がいませんでした。
なんせ、中高6年間独りぼっちですから、
コミュニケーション下手は半端ではありません。
反対に、ちょっとくらい浮いたところで、
どうってことなかったんですけどね(笑)
後に社会人になって、
自分の好きなことのためなら
思い切って冒険できるようになったのも
このようなハミ出す経験をしたのが
大きかったと思います。
まじめに勉強して、そのまま就職してたら
全然違う人生になっていたと思います。
・・・そんな人生、考えたくもないですけどね。
大学院に進学、また浮いてしまう
やがて、4回生になり研究室に入るのですが、
そこの研究が面白かったので、
研究室の人とは仲良くなれました。
全然勉強してなかったので、
一度ちゃんと勉強してみたいと思い
大学院にも進学することにしました。
(まだ、社会人になって、
やりたいと思える仕事が
何も見つかっていなかった、
というのもあるんですけどね・・。)
でも、この時の選択は、
半分正解で、半分間違いだったんですよね。
間違いだった理由は、
大学院に進んでから入った研究室でも
ま〜ったく勉強しなかったからです(笑)
教授に嫌われてしまったんですよね。
「サークルを辞めろ」
「やめないと単位を渡さないぞ」
「他の学生は、みんな研究が第1なんだから
お前もそうしろ」
とか、そんな理由でした。
そうでした。この世界では、
他と違うことをする人間は
非難されるんでした。
ただ、好きなことは、
もう辞められないんですよね。
我慢することは、僕にとっては地獄です。
絶対に戻りたくない世界です。
教授の言うことにも従えず、
サークルも続けたかった僕は、
結局また独り浮いてしまうことになりました。
でも、自分にとって何が大切かを、
もう人に決められたくないんですよね〜
インターネットとの出会い
研究室に、なんとなく居場所がなくなった僕は
『とある場所』に入り浸るようになります。
最先端のパソコンと、インターネット環境が
設置されていた情報端末室です。
普及していなかった時代でしたが、
さすが、大阪大学!
NEXT STEPというMacの前身となるOSを積んだ
パソコンを自由に使える部屋ができたんです。
NEXT STEP 画面
これが、大学院に進んで正解だった理由です。
インターネットに出会ったからです。
本当に面白かった。出会えて良かった。
それまで、学校という狭い世界の中だけで
生きてきた僕の世界が急激に広がる場所でした。
人とコミュニケーションが取れるのが面白くて、
夢中で情報発信したり、ホームページや
WEBシステムを作ったりしました。
会ったこともなかった世界の人と、
たくさん出会い、たくさん話をしました。
時には、ネットを離れて、
当時住んでた大阪から、東京の人や、
九州の人に会いに行ったりもしました。
そして初めて、やりたい仕事が
見付かった瞬間でした。
インターネットで何かつくりたい、
インターネットの仕事をしたいと
思うようになりました。
…
こうして、
WEBシステムを作りたいという気持ちから
富士通に就職することにしました。
ところがですね・・・
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【第2話】大企業に就職したら、安泰の日々が待って・・・いなかったー